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リバプール観光名所​一覧リスト

ここだけは!!見逃せない、リバプールの必見観光名所一覧リスト

リバプール・キャバン・クラブ

リバプールFC

Liverpool FC

リバプールFC(Liverpool FC)は、1892年に創設されたリバプールのアンフィールドを本拠地とするクラブで、プレミアリーグ発足時の22のクラブチームの一つと、歴史のあるクラブ。1960年代~80年代にかけては、40以上のタイトルを獲得した名門フットボールクラブで、長年に渡り、イングランド・プレミアムリーグでの最多優勝回数記録を保持していました。残念ながら、現在は、2010~11年のリーグ戦を制したマンチェスター・ユナイテッドFCがその記録を更新し、リバプールFCはユナイテッドに次ぐ優勝回数を誇っています。

ペニー・レイン

Penny Lane

ペニー・レイン(Penny Lane)は、ビートルズが1967年2月に発表した14枚目のオリジナルシングル曲の題名で、リバプールに実在するストリート名。非常にポップに仕上がっていて好対照をなしている。この曲のなかにでてくる床屋さんや街角の銀行なども、現在も残っており、ビートルズゆかりの場所として、世界中から観光客が訪れては記念写真を撮る光景を目にする観光名所。ペニー・レインというストリート名は看板だったが、盗難が多発したため、現在は壁にペンキでペニー・レインと書かれているほど。

キャバン・クラブ

The Cavern Club

キャバン・クラブ(The Cavern Club)は、1957年1月16日にリバプールにオープンしたロッククラブ。ビートルズが1961年2月9日にこの場所で初めてこの場所でライブを行ったことで世界的に知られることとなったクラブ。ビートルズはこの場所で計292回ライブを行いました。その後、世界的に爆発的人気を誇ったビートルズのマネージャとなるブライアン・エプスタイン(Brian Epstein)が彼らの演奏を初めて見たのも、このキャバン・クラブだったのです。この世界一有名なジャズクラブは、パリの のようなジャズクラブを作りたいというオーナーの思いからオープンし、その名のとおり、洞穴のように、地下につながっており、その中はレンガでできたアーチ型の天井のスペースに、とても小さなステージが一つだけあります。

リバプール・リバプールFC
リバプール・ストロベリー・フィールド
リバプール・アルバート・ドック

ポール・マッカートニーの家

Paul's house

引っ越しが多かったポール・マッカートニーの家族が1955年に引っ越した家で、ポールが一番長く住んだ家。現在では、ナショナル・トラストにより保護されています。当時、ジョン・レノンが自宅であまりギターの練習をできなかったため、よこポールの家でギターの練習をしていたと言われています。彼らは、当時、ビートルズ伝説が生まれるとは知らず、この家でギターの練習に明け暮れたのです。

ビートルズ・ストーリー

The Beatles Story

ビートルズ・ストーリー(The Beatles Story)は、伝説となったビートルズの歴史、サクセスストーリー、ビートルズを支えた人々に関する情報を展示したミュージアム。ビートルズファンでなくても、リバプールに旅行したら、是非立ち寄りたい人気観光名所の一つです。

アルバート・ドック

Albert Dock

アルバート・ドック(Albert Dock)は、大英帝国絶頂期の海洋交易拠点の例証として、2004年に世界遺産に登録された「海商都市リヴァプール」を構成する中心市街の一区画。アルバート・ドックは、ピア・ヘッドの南に位置し、テート・リバプール(Tate Liverpool)、マージーサイド海洋博物館 (Merseyside Maritime Museum) 、ビートルズ・ストーリー (The Beatles Story) などの観光名所が集まった場所。この場所は、当時、木材を使用せずに、レンガ・鉄・石だけで作られた世界初の完全耐火倉庫として有名。また、イギリス国内で保護の対象建造物群のグレードⅠに認定されている建造物の中では最大級の規模を誇っています。

リバプールは、ビートルズが生まれ育った街として世界中の観光客に人気の観光地。また、サッカーファンにとっては、リバプールFCがあるアンフィールドも聖地となっています。ビートルズやリバプールFCに比べると、あまり知られていませんが、海商都市として、大英帝国時代に中心的役割を果たしたのもリバプール。世界遺産に指定されたエリアや、ビートルズのゆかりの地など、リバプールには多くの見所があります。

ストロベリー・フィールド​

Strawberry Field

ストロベリー・フィールド(Strawberry Field)は、1967年2月にリリースした「ペニー・レイン」の片面の曲。この場所は、ジョンがミミ伯母に連れられてきていたころは戦争孤児院だった場所で、当時、ビクトリア朝の建物があったが、2005年に孤児院は閉鎖され、草地になっています。この曲は、ビートルズのサイケデリック期の傑作と評価されている曲で、その曲のゆかりの地を訪れる観光客が絶えない観光スポットです。

ジョン・レノンの生家

John Lennon's house

ジョン・レノンの生家(John Lennon's house)は、Menlove Avenueに位置したところにあります。ジョンは1940年10月9日に産まれましたが、当時、父親は商船の乗組員で航海中のため不在、母親ジュリアは別の男性と同棲していたため、ジュリアの姉メアリー(ミミ伯母)夫婦により育てられたのです。ジョンは、23歳でロンドンに移るまで、この家で暮らしました。そのため、世界中から、彼の育った家を見ようと、毎日、多くの観光客がこの場所を訪れます。この家は、一度別の人の手に移りましたが、その後、オノ・ヨーコにより買い取られ、2003年にナショナル・トラストに寄贈されています。

ホワイト・スター・ライン社

White Star Line

ホワイト・スター・ライン社(White Star Line)は、タイタニックを所有していたことで有名な、1845年創業の海運会社。同じイギリスの海運企業キュナード・ラインと19世紀後半~20世紀初頭にかけてライバル会社として激しい競争を繰り広げたことでも有名。キュナード・ラインの豪華高速客船ルシタニアとその姉妹船モーリタニアに対抗するため、ホワイト・スター・ライン社は3代姉妹船を発表。しかし、タイタニックの処女航海中の沈没、ブリタニックの第一次世界大戦中の沈没、そしてオリンピックの事故多発で経営は悪化し、最終的にはキュナード・ラインに合併されてその幕を閉じました。

エンプレス

The Empress

エンプレス(The Empress)は、リバプール中心地から少し離れたところに位置する地元のパブ(飲み屋)で、ビートルズのリンゴ・スターがソロアルバム「センチメンタル・ジャーニー」を発表した際のジャケット写真に使われたことで有名。ちなみに、ここでは当時、リンゴの母が働いており、リンゴの家もすぐ側に位置していました。(こちらも、ジャケットには映っています。)そのため、ビートルズファンにとっては、訪れたい名所のひとつとなっています。

リバプール市庁舎

Liverpool Town Hall

リバプール・タウンホール(Liverpool Town Hall)は、もともと1754年に建設されましたが、1795年火災により破壊し、1802年に再構築された、リヴァプールでも最も古い建築物の一つ。

リバプール大聖堂

Liverpool Cathedral

リバプール大聖堂(Liverpool Cathedral)は、英国国教の最大規模の教会で、「アングリカン・カテドラル」とも呼ばれる教会。この教会は、1904年に建設が始まり、1978年に完成。大聖堂としてはイギリス最大規模。設計は、ケンブリッジ大学の図書館やイギリスのシンボルともいえる赤い電話ボックスを設計したSir Giles Glibert。また、1953年に、ビートルズのポール・マッカートニーがこの教会の聖歌隊のオーデションを受け不合格となったことも有名。しかし、1991年にリバプール・ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラの150周年記念作品を依頼され、「リバプール・オラトリア」を作曲し、大聖堂でプレミア・コンサートを行いました。

リバプール・ペニー・レイン
バルセロナ・グエロ公園

テート・リバプール

Tate Liverpool

テート・リバプール(Tate Liverpool)は、リバプールの港湾再開発地区「アルバート・ドック」の1840年代の倉庫を改装した国立の近現代美術館で、テート・ブリテン、テート・モダンなどとともに、国立美術館ネットワーク「テート」の一部を構成する美術館。ロンドン以外では最大の近代美術・現代美術の展示品数を誇っています。

リバプール・ジョン・レノンの生家
リバプール・エンプレス
リバプール・ビートルズ・ストーリー
リバプール・ポール・マッカートニーの家
バルセロナ・グエロ公園
バルセロナ・グエロ公園
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