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フィレンツェ
ルネサンス文化が開花した街、
それは、「屋根のない美術館」
フィレンツェ (Firenze) は、イタリア・トスカーナ地方の都市で、人口は約36万人。(近郊は約20万人)。フィレンツェの由来は、古代ローマ時代に、花の女神フローラの町としてフロレンティア (Florentia) と名付けたことだとされています。英語ではフローレンス(Florence)、ドイツ語でフロレンツ(Florenz)と呼ばれ、その名残が見受けられます。
古代、エトルリア人に建設されてフィレンツェという街は、アルノ川のもとで広大で豊かな平野が広がり、メディチ家の繁栄と富のもとで、15~16世紀にルネサンス文化が開花した場所で、「芸術の都」とよばれています。ミケランジェロ・ボッティチェリなどをはじめ、多くのルネサンス期の芸術家たちの作品が街中に点在する「屋根のない美術館」。それもそのはず、街全体が世界遺産に登録されています。建築、絵画、彫刻におけるルネサンス芸術の開花により、現在も旅行者を魅了してやまないルネサンス期の芸術家、ボッティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの巨匠が生まれたのです。
14~15世紀には、ミラノとの戦いが絶えませんでしたが、アルノ川下流に位置するピサを、1406年に獲得したことで、海を獲得するなど、その支配範囲を確実に広げていきました。その規模は、フィレンツェのフローリン金貨が、ヨーロッパ全域の貿易の基準通貨となったほどです。
その後、ピエロ2世時代のナポリ王国への賠償やピサの譲歩、ドミニコ会サン・マルコ修道院長だったジロラモ・サヴォナローラ時代の急速な民衆からの支持の低下(のちに処刑)など、衰退の一途をたどり始め、ルネサンス期の黄金時代を築いたメディチ家が復帰し、トスカーナ大公国の首都として返り咲きしたにも関わらず、経済面や政治面での衰退を食い止めることはできず、1737年にオーストリアのハプスブルク家に継承されることとなりました。
18~19世紀には、ナポレオン時代以外は、常にハプスブルク家の支配下だったフィレンツェは、1860年にイタリア王国に合併され、現在に至っています。1865~1871年まではイタリアの首都も置かれました。
「芸術の街」フィレンツェとは・・・
フィレンツェの見どころ
フィレンツェの見所は・・・??
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ルネサンス文化の中心「フィレンツェ」とはどんなところ・・・??
フィレンツェは、いわずと知れたイタリアでも最も人気の観光都市のひとつ。世界中から旅行者がフィレンツェに集まる理由は、なんといっても「ルネサンス期」のフィレンツェの芸術。街全体が芸術品に溢れるこの街が、「屋根のない美術館」といわれるのも納得です。フィレンツェのシンボルの大聖堂はもちろん、ルネサンス期の傑作といわれる建物や芸術品は必見です。
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